ファーストキス
2週間強、休暇を兼ねて日本に行っていて、昨日の夕方便にてニューヨークに戻って来た。
時差ボケが昔から酷く、昨日も夜の10時まで頑張って起きていたものの、結局その後に眠れたのは3時間ぐらいで、その後眠れなかったので今は妙なテンションでこれを書いている😂
今回も前回に続いてひたすら軟派な話😝
キス、6月から8月にかけて産卵期前に旬を迎え、天ぷらにすると美味い魚の事・・・ではないという、取り敢えずのお約束😅
青春(笑)すら迎えていない、それこそまだまだ子供だった頃のお話。
【東京編その1】
幼い頃から父親の仕事の都合で、海外で暮らす事が多かった自分も、幼稚園時代は東京の練馬区で過ごしていた。
当時はたまに特定のミーティングポイントまでの集団降園などが行われていて、自分も母親が待つ歩道橋の側まで、同じ組の女の子達と手をつないで歩いて行ったものである。
ある時から何故か同じ組の女の子からミーティングポイントでの別れ際に頬にキスをされる様になり、幼子心にそれが嫌で、解散後にダッシュで歩道橋を渡って母親が待つ方へと逃げ出す様になっていた(今考えると勿体ない話である)。
ただどうやら当時の私は足が遅かった様で(今も決して速くはない)、ダッシュで逃げ出しても、大抵は歩道橋の真ん中辺りでその女の子に追いつかれタックル=>テイクダウン=>ローリング=>マウント=>頬にぶっちゅ~😘とされる日々が卒園まで続く事となる・・・😂
彼女が女子レスリングの道に進んでいたらきっとメダリストに成れたんじゃないかと、今更ながらに思う・・・。
【東京編その2】
無事に卒園し、歩道橋の上で押し倒されて(笑)キスされる女の子とは学区が異なったため、心機一転平穏な小学一年生生活を送る日々であった😆
小学校入学と同時に父親の仕事の都合で南米アルゼンチンへの転勤が決まっていたため、1年生の一学期まで通う事になっていた。
そんな一学期も終わりになる頃、今となっては記憶が定かではないが、何故か同じクラスの女の子の家で遊ぶ事になった。
ランドセルを家に置いて、家の鍵を持って(鍵っ子では無かったのだが何故かその日鍵を持って家を出た)その子の家に行って、夕方近くまで庭で遊んでいた。
そして一通り遊び終わって、さあ家に帰ろうとした時に鍵を無くしている事に気付いた😨
取り敢えず遊んでいた庭を二人して捜索していて、暫くすると彼女から
「鍵、見つかったよ~😄」と。
(おおっ、鍵見つけてくれた!マジで天使!?これで家に帰れる!😆)
「ありがとう、見つけてくれた鍵貰っても良い?😃」
「頬にキスしてくれたら返してあげる💓」
(天使と思ったら悪魔だったでござる・・・😨)
その日、俺は家の鍵のために悪魔に魂を売った・・・😭
【南米アルゼンチン編その1】
小学校一年生の一学期が終わり、南米アルゼンチンへと引っ越す事となった。
当時のアルゼンチンはイタリア系移民が4割近くを占めるガチのラテン系のノリの国である。
基本的に挨拶はハグとチークキスの国であり、子供に対しては男性からも女性からもこのチークキスの洗礼を受ける事になる・・・。
キスに対しては半ば恐怖な思い出しかない自分にはこれは最初は物凄くキツかった。
特にお婆ちゃん達とかからは情け容赦なく頬に「ぶっちゅ~😘」と口紅が付くらいにされる・・・。
しかも左右にだ❣
かつてイエス様は「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」と言われたが、アルゼンチンでは「誰かがあなたの右の頬に接吻するなら、左の頬をも向けなさい。」である。
お婆ちゃんから右の頬だけキスされた後に「(サーセン、今日の所はこれぐらいで勘弁しておいてください😨)」と幼心に何度思った事か・・・。
【南米アルゼンチン編その2】
そんな南米アルゼンチンにおいても、日本人学校内は文字通り全生徒・先生は基本的に日本人だけなので校内の文化も必然的に日本と同じとなる。
友達同士で会っても別にチークキスする事もなく、学校内にいる限りは心穏やかな日々を送る事が出来ていた。
当時の生徒達はほとんどが駐在員の子女で、大体3年もすると日本に帰国する事が一般的だった。
そんな中、確か小学校1年の時だったと思うが、帰国が決まった同じクラスの女の子(そもそも一学年に一クラスしか無いのだが)がいて自分は「そっか~、あの娘あと少しで帰るんだ」ぐらいにしか思っていなかった。
そんな彼女の帰国が残り一週間ともなったある時、下校間際でスクールバスが来るので、荷物を取りに教室の戻ったらその娘がいて、寄って来て何故か突然頬にキスをされた。
一瞬の事だったので「へっ?😨」と呆然とキスされた方の頬を抑える自分。
その後、彼女は「ふふふっ😄」と笑って何事も無かった様にスクールバスの方へと歩いて行った。
それからは特に何もなく、彼女は予定通り帰国していった。
きっと今頃は子供が3人ぐらいいる良い肝っ玉母さんになっているんだろう😅
【南米アルゼンチン編その3】
小学校も3年となり、いい加減にチークキスにも慣れた頃の話。
父親はそれこそ典型的な昭和の男だったが、子煩悩で夏休みは大抵は家族旅行に連れて行ってくれてた。
その年の夏休みはコルドバ州の湖の側にあるコテージで家族で夏休みを過ごしていた。
隣接するコテージにはアルゼンチン人の数家族が先にいて、上はたしか高校生くらいの子から下は自分よりも何歳か年下の子たち5、6人ぐらい居たと思った。
コテージが近かったのと、年齢が近かったというのもあって、その子達と一緒に遊んだり、ご飯を食べたりする様になるのに時間はそんなにはかからなかった。
当時は日本人の男の子なんてものは珍しかったのだろう。
高校生ぐらいの一番上のお姉ちゃんに気に入られて、夕方から湖で一緒泳いだりして良く遊んでくれていたのを覚えている。
ある日の夕方、その子達のコテージへと遊びに行き、二段ベッドの上で寝転がってテレビを観ていたら、仲良くしてくれていた姉ちゃんもベッドに登って来て
(あ~、二段ベッドの上は姉ちゃんのベッドなのかな?
はいはい、取り敢えずチークキスで挨拶ね?😄)
などと思っていた矢先、とつぜん唇に触れる柔らかい感触。
(ちょっ、姉ちゃん、それっ、俺のファーストキス!?😂😂😂)
余りにの事にガバッと飛び起きて茫然自失となる自分😣
姉ちゃん、それ見て大爆笑してました😅
まあ、沢山の弟や妹達に囲まれていたから、きっと同じ感覚だったのかなと・・・😅
唯一の救いは姉ちゃんが綺麗だったという事。
ただもう今となっては顔を思い出すことも出来ないけど、きっと綺麗だったと信じたい、うん綺麗だったはず!?😂😂😂
思い出とは美化されるためにあるものである・・・。
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